7月21日日曜日
毎日は平坦に進む。特段面白い事件も、ニュースもなく、ただ真っ直ぐと時間は過ぎていく。
昔の私だったらその退屈さにはすぐに飽き、刺激を求めて何かしらの行動を起こしていたであろう。何かを得られることもあったが、その行動には常に自傷的な側面があった。刺激を得たあとは少しの間満足するが、また新たな刺激が欲しくなる。己の心身をすり減らし、周りの人間を困らせてでも、それを手に入れようと藻掻く。末期の薬物中毒者と同じである。
しかし、今の私はそうではない。長続きしない一瞬の快楽よりも、長期的で緩やかな平穏を望んでいる。毎日本を読み、知識が少しづつ堆積していくことに快感を感じる。物欲もほとんどなく、あるとしても十数年単位で考えている。
ただ、「生活」を緩やかに楽しんでいる。
常に自分の精神を、平均値よりも少し下くらいで維持する。鮮やかでクリエイティブな発想も、突飛で面白い思いつきも、瞬間的に燃え上がる大きな熱量も、今の私にはない。人はそれを「衰え」というかもしれないが、私にとっては全くもって悪いことではない。以前の私は、まるで瞬く間に弾けて消える花火のように生きていた。その美しさは見る人を喜ばせるが、消えてしまったあとは誰の目にも届かない。次々とあがる別の花火に人々の目は奪われていく。
今の私は、ゆっくりと地に根を張り、栄養や水分、陽の光を少しづつ自分の中に蓄えている。いつか大木になることを願って。
もしかしたら、どんなに頑張っても小さな道端の花か、花さえつかないただの雑草にしかなれないかもしれない。小さな木になったとしても、誰かの手によって、抵抗する間もなく切り落とされてしまうかもしれない。大木になったとて、内側から虫に食われるか、台風でなぎ倒されるか、どうなるかは分からない。
それでも私は、長く続くこの人生を、目の前を過ぎていく時間を、そのように生きたいと思う。